私、名前が覚えられない女なんです。
人の名前はもちろん、地名も商品名も本の題名も、固有名詞はだいたい覚えられません。
この間なんて、最近はやりの「ハーバリウム」
(植物をオイルにつけて飾れる、みたいなやつ)のこと、「バイアグラ」って言ってましたからね。orz
バイアグラわかんない人はググってね。w
よく行くカフェの名前も「なんか英語のCが入ってるアルファベット5文字の店名」ぐらいの認識です。(*’▽’)
そして調べるとそれすら違っていたりします。(笑)
学生時代の世界史なんか、発狂するかと思いましたね。アウグスティヌスとか、なんとかヌスとか、ローマだかどこだかの(そこすら曖昧w)偉い人達。
ヌスヌスばっかりでまっっっったく覚えられませんでした。
そんな私が教員となり、困ったのは言うまでもありません。
新学期スタート一週間のうちには子どもの名前を覚えよう!なんていうふうに指導くださる先生もいるほど、「子どもの名前を覚える」というのは教師にとって大切なことなんですね。
あなたのことわかってるよ、見ていますよ。
というメッセージでもありますよね。
「名前が覚えられない」=ADHDというわけではありませんが、発達障害のある方のなかには名前を覚えるのに困難さがあったり、顔を識別することが難しかったりする方もおられます。
しかし、私は「相貌失認」(顔や表情が識別できない脳障害)まではいかないんです。
死ぬ気でやれば少しずつなら覚えられるので、とにかく根性で覚えるっきゃない!!と、カンペを作ったり似顔絵書いてそのお子さんの特徴をメモしたり、とにかく毎年必死になって徹夜で覚えていました。
そして、名前に関してはもう子どもの方だけで手いっぱいだったので、先生の名前を覚えるのは諦めてました。w
先生同士は名前覚えられなくても「先生!」って呼べばとりあえずなんとかなるんで(笑)
固有名詞呼ばなきゃいけないときは、出席札をダッシュで見に行って確認してました。
それ、新学期だけじゃないですよ。一年終わっても一緒に働いてる先生の苗字もうろ覚え、くらいのレベルですw
そんなこと、周りに言えやしませんorz
そんな私は、長男、次男を出産するのに、産休・育休を取りました。
そしてその間に心療内科へ通院していました。
うっかりミス多発で教員としての自信を失い、同僚ともうまくいかず、うつ状態になっていたんですね。
ですが、そこでカウンセリングを受けたりその他いろいろやったりしてるうちに、(詳しく知りたい方はブログをお読みください)
自分がうまくいかなかったのはうっかりしてるからじゃなくて、そんな自分を自分で責めていたからなんだって思うようになりました。
だから、復職するときには、うっかりだらけの、片付けもできない、人の話も聞けない、名前も覚えられない、ナイナイ尽くしの自分そのままで行こうって決めたんです。
具体的には、復職したら始めに自分の傾向を一緒に働く先生方に開示しようと思ったんです。
工夫しながら、助けていただきながら自分の得意を生かして働こうと思いました。
そう決めて復職した一年間は、私にとってかけがえのない経験となりました。
先生方みんな、私と話すときにはご自分から名乗ってくださったりw
名前のことだけじゃなくて、たくさんの場面で助けていただきました。
なんですけど。困ったのは子どもたちのこと。
この年私は担任ではなく、教科担任というポジションに就くことになったんです。
教科担任とは、算数、とか図工、とか、決まった教科だけ授業しにクラスに入る先生のこと。
で。
私は4年生の図工と5年生の書写・理科と6年生の図工を受け持つことになり、200人弱の子どもたちを担当することになりました。
30人でも覚えられないのに・・・
無理。orz
担任持ってた頃のように徹夜して資料作って、ってやるの・・・諦めました。(=゜ω゜)ノ
その時間を、教材研究や子どもたちの作品にメッセージを書くことや、自分のできることで子どもたちへ還元できることに使いたいと思ったんです。
だから、どのクラスでも初めの授業で、「先生は名前を覚えるのが苦手です。」ということを正直に子どもたちへ伝えました。
子どもたちは本当にかわいくて、いろんな子がいて。
一人ひとりがどんなお子さんだったか、何が得意で何が苦手なのか、発表するのが得意な子、自分で考えを深めていくのが得意な子、それぞれの輝く瞬間を退職した今でも私は鮮明に覚えています。
だけど、名前は憶えていないんです。
復職して半年ほどたった時点でも、私は子どもたちの名前を覚えられていませんでした。
子どもたちは私が名前を覚えるのが苦手、というのは聞いてはいても、まさかそこまでとは思っておらず。
あるとき冗談で、私に名前あてクイズを出してきたお子さんがいました。
私は答えられませんでした。
本当に申し訳なかったし、情けなかった。
自分はなんでこうなんだろうって思いました。
そして、子どもたちに謝りました。
「私は名前が覚えるのが苦手だと春に話しましたね。実は、半年たってもまだ覚えられていません」
「さっきはAさんのお名前を呼ぶことができませんでした」
「本当に申し訳ないです。だけどね、Aさんのことを見ていないわけではないんだ」
「Aさんがいつも理科ノートをていねいに取っていること、自分の考えをしっかりまとめられていること、実験の準備を積極的に取り組んでいること、そういうの、ちゃんと覚えているよ。」
そんなふうに、正直に話しました。
そしたらねぇ、いつも全然話を聞いていない男の子が、
「先生、大丈夫だよ。名前覚えたいって思ってるんでしょ。それでいいじゃない。」
って言ってくれたんです。
そう。
「できないなら他のやり方で還元しよう」と言いつつも、
「やっぱり子どもたちの名前をちゃんと覚えたい、覚えるべき」
って、私はどこかで思っていたんですね。
でも、どうしてもそれが無理なら、別の方法でやるしかないんです。
できないことを開示して、「みんなのことを大切に思っている」ということを自分なりのやり方で伝えていけばいいんだと、改めて思いました。
その年度の終わりに、私は受け持ったお子さん全員分の似顔絵を描きました。
「あなたのこと、ずっと覚えているよ、応援しているよ。」ということと、
「ありがとう」の気持ちを私の得意な方法で一人ひとりに伝えるために。
他の人と比べて、自分ができてないところっていうのは気になるものですよね。
だけどね、できないことがあれば、自分なりのやり方を見つけたらいい。
それが例え、大多数の人のやり方と違っていたっていいんだって、今は思っています。
自分なりのやり方で。自分にフィットするツールで。
それは、障害の有無に関係ないと私は思っています。
そして、みんながそんなふうに自分を追求していけば、世界はもっとおもしろくなると思いませんか?
一人ひとり、違っている。
だからこそ、この世界は可能性で満ちているのだと、私は感じているのです。