娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

投稿日:2021-03-10 更新日:

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

わたしはてんかんの持病をもった子どもの母親です

突然ですが皆さんは「てんかん」という病気をご存じでしょうか。
突然けいれんを起こし、道ばたで倒れるようなイメージを持たれている方が多いと思います。

わたしは現在、小2と小5の娘の母親で、子ども達はてんかんの持病を持っています。それぞれ2013年の5月と7月に発症し、丸5年が経過しました。

子ども達に当時のことを聞いても、2人とも特に何とも思っていないはずです。

発症当時、子ども達は5歳と2歳。今もなお服薬は続いていますが、発作が抑制されてから3年以上が経過しており、辛い記憶はほとんど残っていないでしょう。

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

しかし、当事者の家族であるわたしは、ひとつひとつの出来事を今でも鮮明に覚えているし、「たられば」を何度思ったことか。

健康に産んであげられなかった自分を責め続けた時期もありました。

わたしにとっては波瀾万丈な5年間でしたが、当時の気持ちを母親目線で振り返ってみようと思います。

【てんかん育児】てんかんってどんな病気?

てんかんってどんな病気?
てんかんは100人に1人の割合で発症し、誰にでも起こりうる脳の病気で、以下のように定義されています。

「てんかん」はてんかん発作を繰り返す脳の病気で、年齢、性別、人種の関係なく発病します。健康を維持する目的で設立された世界保健機関(WHO)では、てんかんは「脳の慢性疾患」で、脳の神経細胞(「ニューロン」と呼びます)に突然発生する激しい電気的な興奮(「過剰な発射」と表現されています)により繰り返す発作(てんかん発作)を特徴とし、それに様々な臨床症状や検査の異常が伴う、と定義されています。
「てんかん発作」の時の症状は、大脳の電気的な興奮が発生する場所によって様々です。たとえば、いわゆる「けいれん」と呼ばれる手足をガクガクと一定のリズムで曲げ延ばしする間代発作や、手足が突っ張り体を硬くする強直発作、あるいは非常に短時間の意識消失が突然起こる欠神発作、全身や手足が一瞬ピクッとするミオクロニー発作、感覚や感情の変化、特殊な行動などいろいろな症状があらわれる複雑部分発作など、その症状は極めて多彩です。
ただし、発作の症状は患者さんごとにほぼ一定で、同じ発作が繰り返し起こることが、てんかんの特徴です。

(出典:てんかんinfo)

【てんかん育児】娘2人がてんかんを発症した時、わたしが願ったこと

てんかんを発症した時、わたしが願ったこと

2013年5月20日と、2013年7月31日は、長女と次女がてんかんを発症した日付で、わたしにとって忘れられない大切な日です。
長女は寝起き、次女は就寝時に発作を起こし、いずれも救急車で搬送されました。

長女は、布団の中で口から泡を吹き、チアノーゼの状態で発見されました。

半日程度経つと、意識もはっきり戻りましたが、次女はてんかん重責といって、けいれんが長時間止まらず、生命に危険が及ぶ状態になりました。

ER(救命救急室)に搬送され治療をしましたが、医師から「左半身に麻痺が残るかもしれない」と言われて衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。

わたしはどちらの搬送時にもただひとつ、同じことを願いました。
「命だけは助かって欲しい」
幸い2人とも命は助かりましたが、いつまた発作が起きるかわからない状況に、怯える日々が始まりました。

てんかんを発症した時、わたしが願ったこと

【てんかん育児】仕事中でも涙が勝手に流れるように。嘘でもうつ病と言われたかった

仕事中でも涙が勝手に流れるように。嘘でもうつ病と言われたかった

脳波検査などした結果、子ども達のてんかん発作は、寝入りばなや寝起きに多く起きるタイプのものでした。

それ以来、夜がとても怖くなり、寝かしつけも「絶対に自分が先に寝てはいけない」といち早く子ども達の異変に気づくため、常に気を張っていました。

寝てからも深い眠りになるまでは油断できないので、毎晩1~2時間近く子ども達の寝顔を観察する日々。
また、誰よりも早く起きて、子ども達がしっかり目を覚ますまで隣で見守り続けていました。

そんな日が続き、昼間は会社で仕事をして、夜は子ども達のことで頭がいっぱい、気づいたら自分の時間はなくなっていました。

仕事中でも涙が勝手に流れるように。嘘でもうつ病と言われたかった

さらに「自分が先に寝ていけない」ことが追い打ちをかけ、徐々に眠ることができなくなりました。

また会社では、寝不足と精神的な負担が重なり、仕事中でも涙が止まらないことが増えていきました。

大好きなデザインの仕事なのに、ずっとデザイン一筋で頑張って来たのに、制作物が涙で見えなければ仕事になりません。「好きだ」と思えなくなるほど、追い詰められていきました。

実はこの頃、数回だけ心療内科に通っていました。医師からうつ病の診断が出れば、仕事の諦めがつくだろうと思ったからです。

しかし、わたしはうつ病ではないらしく、一時的に心が疲れているだけということで睡眠薬が処方されました。

はじめのうちは飲んでいましたが、1錠では効果がなく、だったら2錠…。
それでもなかなか眠れず、朝方ようやく眠りにつくというような日々が続きました。

そしてある日、ついに限界を迎えます。「このままでは自分自身がダメになってしまう」と、やっと自分の状態を受入れることができ、会社に相談して週4勤務をお願いしました。

仕事中でも涙が勝手に流れるように。嘘でもうつ病と言われたかった

【てんかん育児】周りからの気遣いの声は、逆に塞ぎ込む原因に

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

それからは、毎週水曜日をお休みにしましたが、朝から夕方までご飯も食べず、ずっと布団にもぐっていました。

時には休むことの大切さを今なら理解できますが、当時は何となく自分が悪いんだという思いや、社会に取り残された感があり、外出が億劫になっていました。

水曜日に一番見ていたのは家族の顔ではなく、少しほこりっぽい真っ白な天井でした。

この頃に更新していたSNSの内容は、ネガティブなことばかり書いていて、まさに悲劇のヒロインそのもの。
かといって、直接誰かに相談したり愚痴を言ったりする勇気は自分になく、SNSを通じて間接的に人と関わっていました。

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

それでも、時々身内から電話が来たり、ママ友と話す機会はありました。
多くは気遣いの言葉でしたが、素直に受け入れることはできず、「みんな人の気も知らず勝手なことばかり言っている」と、ますます布団から出なくなりました。

この頃一番言われて辛かった言葉は、「仕事を辞めて実家で子育てをしたら?」でした。

今はフリーで仕事をしていますが、当時は独立をしようとはこれっぽっちも考えていませんでした。メリットよりデメリットが多いと感じ、またそれ以上に自信や勇気がなかったからです。

確かに、大人が多い方がわたしも楽だし、気持ちも穏やかになったかもしれません。
今よりも生活費もかからず、貯金も出来たと思います。子ども達も祖父母と楽しく暮らせたでしょう。

正直な所、私以外の身内は全員、実家に帰って子育てをすることに賛成でした。主人もその方が私も楽だろうと気遣ってくれたんだと思います。

でも、私だけがそれを受け入れることが出来ませんでした。気持ちとは裏腹に、変なところで負けず嫌いで、自分は何も悪いことをしていないんだから実家に帰るつもりはない!と言い切ってしまいました。

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【てんかん育児】わたしの一番の理解者は子ども達だった

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

結局、子ども達がてんかんを発症してから2年近くは発作が止まらず、薬の調整にも苦戦していました。特に次女は、てんかん重責を起こすので毎回救急搬送され、その度に入院生活を送っていました。

当時のかかりつけの病院は付き添い入院が出来ず、面会時間は15時~19時まで。わたしは午後に仕事を早退し、その足で病院へ行っていました。

そして19時が過ぎてスピーカーから「蛍の光」が流れ出すと、親と離れ離れになることがわかるのか、次女だけでなく周りのベッドの子ども達もわんわん泣きはじめ、後ろ髪を引かれる思いで病室を後にしていました。

親としても辛い場面でしたが、この光景を見るようになってから、あんなに子ども達も頑張っているんだから、塞ぎこんでばかりではいけないと思うようになりました。

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

そして少しずつ休みの日は布団から出るようになり、本屋に行っててんかんのことを調べたり、勉強会などに参加していました。そしてこの頃から、自分の気持ちを発信できる場を求めて、「てんかん姉妹」というブログを書きはじめました。

ブログをはじめてから、文章を書く楽しさを感じるようになりましたが、数年後の今、ライターの立場でこの記事を書いていることには、自分自身が一番驚いています(笑)

話が少しそれましたが、わたしがこうして記事を書けるのは、今まで子ども達が文句ひとつ言わずついてきてくれたからです。

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

特に長女には相当無理をさせていたはずです。
度重なる通院、次女の入院時にはひとりで留守番をさせ、卒園式の朝に発作が起きたときも、頭痛と嘔吐の中参加させてしまいました。

今となっては武勇伝のよう聞こえるかもしれませんが、当時は修羅場そのものでした。

なにせ第一子だったので、ただでさえ子育てでもはじめてのことばかり。
それに加え、てんかんのこともあったので、「ちゃんと育てなければ」と、とてもプレッシャーを感じていました。

上手くいかないことがある度に、「ただでさえ病気持ちなんだから、しっかりさせないと周りに置いていかれる」と、長女に厳しくあたっていました。

それでも長女は、わたしを悪く言ったことなど一度もなく、通院や苦しい検査も愚痴ひとつ言わず耐えていました。
一方次女は嫌なことは嫌という性格なので、毎回大暴れで医師や看護師さんも困り果てていました。

そんな両極端な姉妹でしたが、ふたりとも私が仕事をしていることを受け入れ、応援してくれました。

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

1番そばにいないといけないときに、1番治療が大事なときに、本当は仕事どころではないのに辞めることはできませんでした。もっと子ども達の体調管理をしたり、話を聞いてあげたいと思うときは毎日のようにありました。

しかし、それでもわたしは仕事を取りました。

「きっと子ども達はわたしを恨むだろう」そう周りに話したことがあります。それだけのことをしてきたのは自覚していたし、罪悪感もあったからです。

しかし子ども達は恨むどころか、残業で保育園のお迎えが遅くなっても、牛丼屋の日が続いても、仕事を辞めてと言われたことは1度もありません。

長女がわたしに宛てた手紙には「お母さん、お仕事がんばってください」と書いてあったり、次女は床やソファーで力尽きたわたしによく毛布を掛けてくれました。

今、わたしが頑張れるのは、こうした子ども達の理解と協力があるからです。

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

【てんかん育児】想いや罪悪感は墓場まで持っていく、けれど…

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

わたしの知人で、2人のお子さんを育ててきたお母さんがいます。お子さん達は生まれつき弱視でメガネでの矯正も難しく、今は成人され就職もしましたが、ほとんど文字は見えず、苦労することも多かったそうです。

知人とは時々会い、お互い近況報告をしていますが、病名は違えど、健康に産んであげられなかった子どもへの申し訳ないと思う気持ちは同じです。

そして、この想いや罪悪感は墓場まで持っていくと、よくふたりで話しています。

親だけが悪いわけでないのは理解しています。
しかし、産んだのは母親で、産まれてきた子どもに病気があった。その事実は変えることはできず、一生抱えて生きて行かなければなりません。

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

それでも、はじめの頃は棺から溢れるほどの罪悪感がありましたが、今では随分少なくなったと思います。
子ども達を通じて学んだことは山の様にあり、またわたしに新しい世界をたくさん見せてくれました。

今から3年前、子ども達の発作が落ち着いた頃、わたしはもっと子どものことを勉強したいと思い、会社を辞めて在宅ワークをしながら、2年間通信制の大学で心理や教育、福祉を学びました。

その間に憧れのひとつだった小学校勤務も実現し、障がい児への実務経験を重ねながら、非営利活動で、障がいのある子もない子も共に学べる居場所支援を立ち上げました。

娘2人がてんかんを発症して5年。母親の牧ひとみさんが壮絶な過去を激白。

子ども達のてんかんは、主治医曰く、治るか治らないかは誰にもわからないそう。
しかし将来どんな結果になっても、わたしの子どもには変わりありません。10年、15年後、一生ふたりの母親でいられるよう、今できることを精一杯頑張ろうと思います。

執筆/牧ひとみ
てんかんと発達特性を持つ小学生姉妹の母。

-ライフスタイル
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この記事を書いたライター
牧ひとみ
てんかんと発達特性を持つ小学生姉妹の母。
フリーでWEBやDTPデザインのお仕事と、障がいのある子もない子も共に学べる「なっつの木」を主宰。
好きなものはフクロウとくびれのないぬいぐるみ。
http://nattunoki.com/

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