子育てしていると、自分が子どもの頃のことをよく思い出します。
筆者は、母から「大好きだよ」「可愛いね」などと言われたことがなく、母に褒められた記憶はほとんどありません。
優しくて一生懸命家事をする真面目な人でしたが、母を思い出そうとすると、いつも家事ばかりしていたので表情がよくわからず、顔の辺りがぼんやりとした「のっぺらぼう」なんです。
そのせいだけではないと思いますが、私は昔から自己肯定感が低く、自分の性格もよくわからず、心が混乱。自分の良い点は一つも言えませんでした。
ふと今我が子を見ていると、幼い頃の自分と重なり、急に当時の気持ちになって、母に言ってほしかったことに気づきます。皆さんもそんな経験ありますか?
「のっぺらぼう」は時代も家庭環境も影響している
そんな母に、あまり肯定的な言葉をかけてもらえなかったことについて、考えました。
時代は遡りますが、母の両親は明治・大正生まれ。戦後すぐに生まれた母が子どもの頃は、家族が生きていくのに精一杯でした。ただ食べていくのに必死で、コミュニケーションがどうのとか、伝え方とか、自己肯定感とか、考えることもなかったと推測します。
そんな中、母自身もまた、大好きとか、可愛いとか、褒め言葉などを言われないまま大人になり、現在のように本やネットで子育て情報を得ることもなく、ひたすら家事と育児をしてきました。
それが当たり前だったし、正しかったと母は思っていると思います。
子育てしてやっと気がついた母の気持ち
我が子は、とてつもなく可愛い存在ですよね。
子どもが夢中で食べている時、一生懸命歌っている時、無邪気に踊っている時、笑顔で走っている時、スヤスヤ寝ている時…。つい目を細めて眺めてしまいます。
そんな微笑ましいひとときに、母が頭によぎって気持ちが交錯しました。
『あ・・・母も私が子どもの頃、こんな風に私を見ていたのかな? 言葉にしなかっただけで、こんな温かい気持ちで見守っていてくれたのかな?』と、初めて気づきました。
私に素直な気持ちや特別なことは何も言ってくれなかったけど、悪気はなかったのです。長い年月を経てようやく気持ちが伝わってきたのは、子どもたちのお陰です。
それからは、息子と娘を見るたびに「私もこんなに可愛かったんだなぁ」と、自画自賛(笑)。
二人には、毎日ごく自然に「可愛いね」「大好き」と言っています。
「毒母」というほどでなくても、母親との関係を思い起こしながら子育てをすると、心の片隅にいる子どもの頃の自分、ちょっぴり傷ついたり満たされない自分を癒すヒントや、母親の想いに気づくことができるかもしれません。
7歳男児、3歳女児、44歳夫と4人家族で、育児・家事に翻弄される毎日。13年勤めた会社を退職後、現在は月刊誌の取材・執筆・撮影に携わる。一方で子供に関わる社会問題にも関心を寄せる。好きな食べ物はマカロン。